2002年8月28日

かがやきパソコンスクールが思うこと

かがやきパソコンスクール 代表 益田 修

 

聴こえないということ

 私たちの生活で入ってくる情報の多くは、目と耳からです。

 とりわけ耳については「耳学問」「聞きかじり」「耳年増」「門前の小僧習わぬ経を読み」などなど、多くの情報収集に関する言葉があるように、私たちの生活に様々な情報を知らせてくれる重要な器官です。

 その耳に障害があった場合は、多くの一般の人が耳から入手する情報はほとんど入ってこないか、全く入ってきません。

 スーパーマーケットでも、チラシに載っていない突然のタイムサービスのような、掘り出しものの安売りを館内放送されても、実際に売り場の前を通らない限り気づきません。

 年末の紅白歌合戦も、歌詞が字幕で表示されれば「歌詞」はわかりますが、一生懸命に歌っている歌手の美声は聞こえません。

 街を歩いていても、自動車が近づいてくる音も聞こえません。自動車を運転している人がよそ見をしていたら・・・・

 小鳥のさえずりも聴こえませんし、赤ちゃんが泣いていても、誰かが助けを求めていても気づかないことさえあります。

 子供の発育を阻害する要因にもなりますし、危険な場面も多くなり、入ってくる情報が少ないことから学校やビジネスの場面で遅れをとり、豊かな社会生活とは程遠い生活を余儀なくされることもしばしばあります。

 ただ「聴こえない」というだけで、多くの情報を失い、感じなくても良い疎外感や、将来に対する不安を抱き、悩みつづけながら生活している聴覚障害者は決して少なくはありません。

 

聴こえないというハンデを補うもの

 【補聴器】

 それでも幾ばくかの聴力が残っている人には、補聴器という機器がありますが、近視や遠視等の人たちがめがねをかけたように、たちまちクリアな世の中が飛び込んでくるわけではありません。

 精密な電子機器であり、デジタル技術が進んだこともあり以前よりも性能が良くなったとはいえ、まだまだ補聴器は人の耳の代用にはなれません。

 補聴器には音を耳には届けられても、音を聞き分ける能力までは無いからです。

 数人があつまる井戸端会議でさえ、二人以上の人の言葉が重なれば、それはもう「音はうるさいが、聴こえない言葉」となります。

 しかしながら補聴器をつけていれば、これまで多く失っていた情報に気付くこともできますし、聞き返すきっかけもできます。

 したがって、聴力のまだ残っている方に対しては、ハンデを補う重要なツールの代表といえましょう。

 【手話】

 手話は、聴覚障害者のように生まれた時から、あるいは幼少等の早い時期から、全く、もしくはほとんど聴力を失った人達の主要なコミュニケーションツールとして使われています。

 しかしながら、圧倒的に数の多い健聴者の多くは、手話で会話をすることができません。

 したがって、手話を使える範囲は狭く、聴覚障害者や、手話を覚えた難聴者やボランティア等の健聴者という、ごく限られた中でしか通用しません。

 たとえば街中で、いきなり手話で道を尋ねるような場面があったとします。

 手話で話し掛けられた多くの健聴者は、外国人に突然話し掛けられたようにあわててしまうでしょう。

 なぜならば、手話を使う人の人口の方が圧倒的に少数であり、健聴者の身近にも手話で話す人が滅多に居ないことから、圧倒的多数の健聴者は手話を体得していないからです。

 そこで冷静に紙に書いて聞き返してくれるような健聴者にめぐり会えるようなことは、まず期待できません。

  【文字】

 文字は、私たち日本人には広く浸透し、個々に若干の差はあれど小中学校では定められたカリキュラムに従い、文字を使った教科書を使い学んでいます。

 手話をコミュニケーションの第一手段としている聴覚障害者であっても、その多くは、同様に文字を使った教科書を使い、マンガの本や新聞、雑誌、小説等を読むことが出来ます。

 テレビでも、手話通訳がついていなくても字幕さえ出れば、字幕が表示されるスピードやそれを読み取る個人の能力の差はあれど、健聴者と同様に情報を受けとることが出来ます。

 文字は、健聴者と聴覚障害者の隔て(バリア)なく、共通に使える情報伝達手段です。

 ただし、文字で会話をしようとすると、通常は手で書かなければなりません。

 文字を書くということは、健聴者にとって「音声」で話をするより、聴覚障害者にとって「手話」で話をするより、大変な労力を使う面倒な作業です。

 聴覚障害者が社会に出て仕事に就いたとしても、手話の出来ない上司や同僚が、どれだけ文字で情報を教えてくれるか容易に想像できますね。

 職場の中でのちょっとした会話や世間話など、本当のところいちいち文字にしていく手間も時間も馬鹿馬鹿しいと言われるのが落ちだと思います。

 ビジネスの世界は、それでなくてもスピードが要求されるわけですから。

 

聴こえない人は豊かな社会生活を送れないのか

 

 生活の「豊かさ」については、様々な物の見方や尺度がありますが、少なくとも「聴こえない」というハンデがあるばかりに「割を食った」生き方を余儀なくされるようなことは、幸せと言えるでしょうか?

 聴こえないというハンデによって、職業を選択する自由を狭められていませんか?

 聴こえないというハンデがあるために、好まないのに黙々と同じ作業をし続けるルーチンワークばかりをさせられていませんか?

 聴こえなかったばかりに、せっかくのチャンスを逃したことはありませんか?

 聴こえないという理由で、仲間はずれにされたことはありませんか?

 聴こえないという理由で結婚相手が決まらないということはありませんか?

 聴こえないために、悲しい思いをしたことがありませんか?

 そして・・・

 それらはこれからもずっと、そうなんですか?

 ここに挙げたことは「割を食った」生き方を余儀なくされている、ということのすべてではありませんが、思い当たることはありませんか?

 さらに、聴こえないのだから「仕方が無い」とあきらめてはいませんか?

 もし、それで幸せを感じられるのであれば、それは素晴らしい方だと思います。

 しかしながら、それで幸せだと感じられない方のほうが、多いのではないでしょうか?

 

聴こえないハンデは他の能力で補えるか

 

 昔から「手に職」「芸は身を助ける」等の言葉に代表されるように、自分で能力を身に付け、その道のスペシャリストになることが、豊かな社会生活を送る基盤づくりをすることのように言われております。

 極端な話で恐縮ですが、何も技術を持たない健聴者よりも、特殊な技術を身につけた障害者の方が優れている場合もあります。

 ろう学校等でも、職業訓練に近い授業を採用されているところもあり、個々人の技術や能力を高めて、社会に送り出していく努力をされています。

 しかしながら、身に付ける技術や知識、そしてそれを生かしていく能力は、その時代、時代の文化や技術革新が進むため、社会が求めるものも変化します。

 いくら手に職とはいえ、古い技術をいつまでも学んでいては、競争社会で生き残るには大変厳しいものです。

 技術は古くなれば使い捨てられることもありますし、昨今では特に品質は勿論のこと、コストやスピードに代表されるような生産性と、市場が求める多種多様なニーズに応えられる小回りが求められています。

 目を海外に向けると、日本だけが優れた技術をもっているわけではなく、アジアでも近隣の韓国や中国、台湾などの発展はめざましく、これまでbPだと思い込んでいた日本の産業がまさに脅かされています。

 株価の低迷、中小のみならず大型企業の倒産、不景気が続き、失業者が増えている日本の現状の中で自立した豊かな生活を送ろうと頑張っても、ちょっとした弱みがあるだけでも職に就けないという致命的な打撃を受けることさえあります。

 ましてや「聴覚に障害がある」というのは、どう大目に見ても決して有利な条件ではありません。

 そうした社会環境の中で、「聴こえない」というハンデを補ってなお、余りある能力を身に付けていくことこそ、現代社会で自立した豊かな生活を送る第一歩なのではないでしょうか?

 

聴こえないハンデを持っていると、健聴者にはかなわないのか

 たとえば、あなたが企業の採用担当者だったとします。あるいは、社員の昇給や昇格を査定する人事を担当している管理職だったとします。

 下の例でいえばどちらの方を採用しますか?

属性と評価 健康状態 企画力 折衝力 分析力 調整力 行動力 財務知識 法的知識 IT知識
Aさん 問題なし × ×
Bさん 聴覚障害

 それぞれの企業の考え方や、おかれた環境等によって採用基準や判断はあろうかとは思いますが、私が経営者であれば聴覚障害という難点はあるものの「Bさん」を採用します。

ただ、実際の場面ではもっと多くの情報を集めて比較し、慎重に人事が進められていること(そうあって欲しい)と思いますが、このテーマのために敢えて強引な比較をしてみました。

つまり「聴こえない」というだけでは、その人の能力すべてを否定する材料とはならない、ということを言いたかったのです。

もちろん、聴力を主に使う電話交換手等の仕事には不向なところもありますが、聴覚障害というハンデがありながらも、世界の舞台で活躍している方もおられれば、企業で重要なポジションに就き、活躍されている方もいます。

したがって、最初からあきらめない、少々のことでめげないという気持ちを持ち、ハンデを補ってあまりある能力を身につけ、発揮していくことが自立した豊かな社会生活を作る重要な基本ではないでしょうか。

 

聴こえないハンデを補ってあまりある能力をどう身に付けていくか

 能力は、発揮されてこそ生かされるのではないでしょうか。

 したがって発揮する場所がなければ、あまり意味をなさないかもしれません。

 まず、能力を発揮できる、あるいは能力を発揮する標的(場)を決めましょう。

 この際ですから、時代から淘汰されていく、あるいは淘汰されつつある技術や能力は二の次にしてしまいましょう。 なにしろ、スピードを持って健聴者と渡り合い、そして豊かな社会生活の土台をつくっていこうとするのですから。

 標的(能力発揮の場)を決めたら、それに対して「自分に何ができるか」「自分がどう役に立てるか」を考えてみましょう。

 この時のポイントは、できるだけ大きく夢をふくらませてみることです。 あれこれ思い悩んで不安ばかりが先に立ち、結局あきらめてしまうことの無いように注意してみてください。

 そうすることによって、「どういう標的(能力発揮の場)」に対し「自分がどう活躍していくか」ということが、漠然としてでも見えてきませんか? 「どういう標的(能力発揮の場)」に対し「自分がどう活躍していくか」ということが大体見えてきたら、それが大きなテーマとなります。

 大きなテーマが決まったら次に「いつまでに」「どうやって」達成するか、といった具体的な道しるべと手段を検討します。

 「いつまでに」を決める際には、なるべく早く目的が達成できるように、スピードを持たせた計画にする必要があります。 なぜならば、のんびり構えている間に、世の中がどんどん変わっていってしまい、いつのまにか古臭い計画になってしまいます。

 「どうやって」を決める際には、なるべく最短コースを探しましょう。

 

最短コースをたどるための強力な武器

 

 わからない事があった場合、一番手っ取り早いのは「知っている人に聞く」ことではないでしょうか?

 たとえば、わからない言葉を知りたい時に、辞書を探して手に取り、ページをめくって目的の言葉を捜す、という作業をするのでは手間ひまがかかりますね。

 ましてや、古い言葉であれば国語辞典で事足りますが、新聞でも最近はあたりまえのように使われているハイテク用語など何年も前の国語辞典には載っていません。

 結局見つからなければ、探した分だけ時間と労力の無駄です。

 それとも不屈の精神で、即座に書店や図書館に足を運んで調べますか?

 多くの場合、わからないままにしていませんか?

 しかし、それらは、傍に居る人に一言聞けば済んでしまうことも多く、人に聞けば知ろうと思った瞬間から知るまでのスピードも圧倒的に違いますよね。

 そうは言っても、現実に何でも即座に教えてくれるよな貴重な人はいつもそばに居るとは限りませんね。 ましてや、こちらは聴覚障害を持っていますので、答えが音声で返ってきてとしたら聴こえません。

 そこで役立つのが、インターネットです。

 インターネットには、個人の日記や趣味の話題からビジネスや最先端の研究開発に至るまで様々な分野で、膨大な数の情報が蓄積され、すばやく検索する仕組みが出来ています。

 日常起こりうる疑問の多くは、インターネットで情報を得て解消することも出来ますし、さらに詳細情報が必要な場合は、インターネットをインデックスにして書籍や文献等を探すことも出来ますし、それから図書館へ足を運んでも遅くはないでしょう。

 電子メールやインターネット上の掲示板を利用して、専門家に尋ねることも可能です。

 自宅に居ながらにして、いつでも「他人に聞ける」武器として、情報検索のスピードをアップしていきましょう。

 インターネットは、もはやあたりまえのたしなみとして、早い時期に環境を整えて、自在に情報を引き出せる技術とセンスを身に付けてはいかがでしょうか。

 

能力を証明するステータス

 

 さあ、豊かな社会生活を送るために取り組む「テーマ」と「いつでも人に聞ける環境」は決まってきましたか。

 次は、「言わなくてもわかる」ステータスづくりです。

 ステータスはそのままの訳すと「社会的地位や身分」なのですが、これには賛否両論あろうかとは思いますが、この場では他人が見て「言わなくてもわかる」客観的情報という意味で使いたいと思います。

 たとえば警察官は、警察官の制服を着ていると、本人が言わなくても周りの人にはおまわりさんだとわかります。 名刺に「弁護士」という肩書きが書いてあれば、いちいち言わなくても、受け取った人はその人が弁護士だとわかります。 背広を着て、カバンを持ち、満員電車に乗っている姿を見れば、サラリーマンだと思ってしまいます。

 そういう誰の目にも「言わなくてもわかる」能力や客観的情報の証明が、ここでいうステータスです。

 では、豊かな社会生活を送るためには、どういうステータスを手に入れればよいのでしょうか?

 制服だけ手に入れて、明日から警察官というわけにはいきませんね。名刺にいいかげんな肩書きを入れて、今日から弁護士というわけにもいきません。

 ステータスは、大なり小なり一定の関門をくぐらなければ手に入りませんし、関門は工夫と努力がなければくぐれません。 工夫も努力もスピードが無ければ、意味をなさなくなってしまうこともあります。

 賞味期限が過ぎてしまったステータスは、もはやステータスとは呼べません。

 時代を見据えた自らのテーマに対して定めた活躍の方法(手段)に照らし合わせて、もっとも夢の実現に近いステータス獲得に向けて猛スピードで進んでいく必要があります。

 

現代のステータス

 

 現代のステータスは、相変わらず根強い人気の医師や弁護士等がありますが、聴覚に障害を持って挑戦するには、健聴者と渡り合って勝ち抜いていけるだけの余程の覚悟が無い限り大きな困難が伴うでしょうし、医師などはそもそも聴覚障害ではなれない場合も少なくはありません。

 決して可能性が無いといっているわけではありませんが、今でも根強い人気の「○○士」等いわゆる「士族」のステータスは、もともと聴覚障害者を念頭に置いてつくられた制度でない以上、健聴者と渡り合うには聴こえないというハンデが大きく立ちはだかってしまいます。

 それでは、他に何があるでしょうか。

 インターネットの利用者が日本の所帯数の過半数を超えた現代、それこそ生活の中にもインターネット家電が入り込んできているこの頃です。 ITバブルがはじけたといわれますが、まだまだ生活を便利にしてくれる原動力は、IT技術に頼らざるを得ないのが現状です。

 そんな中、IT系の知識や技術を持った人達は、国や地方自治体・企業から求められており、結果として仕事に就き活躍するチャンスを得ることも出来ます。

 さらに誰の目にも「言わなくてもわかる」ステータスを身に付けた人が、一歩先んじる、優位に立てる武器を手にしたのと同じです。

 したがって、パソコンやインターネット等のネットワークを通じた情報流通を含めたIT技術関係の資格取得に向けて、猛スピードで勉強していくことが豊かな生活をつくる最短コースのひとつだと考えています。

 

身に付けるための勉強方法

 同じステータスを身に付けるのであれば、あまり時間をかけず効率的に勉強し、他の時間は趣味等豊かな社会生活を送るための側面的な楽しみに使ってはいかがでしょうか。

 では、効率的な勉強方法とは?

 先ほどの「言葉の意味を調べる」という例のように「最短コース」は何か、を考えましょう。

 私がパソコンスクールを開いている関係で恐縮ですが、パソコンで資格を取ろうと思った場合をひとつの例として比較してみたいと思います。

 

独学 スクールで学ぶ
テキスト探しから始まる。 最適なテキストで教えてもらえる。
図や写真・ビデオで学習。 お手本を見せてもらえる。
知っている人を探す。ただし、質問によっては聞きづらい。 その場で聞ける。あまり遠慮なく聞ける。
必要なソフトは高価でも自分で購入。 ソフトは高価でもスクールで用意している。
ちょっとつまづくと途絶える。 継続して取り組める
何度も失敗しながら学ぶ。 ベテランが最短で覚えるコツを教える
パソコンが壊れたら自己責任。 パソコンはスクールが直すので心配ない
セキュリティは自己責任。 組織立ったセキュリティ管理をしている
細切れの知識が見につきやすい。 体系的に学ぶことができる

 

 どちらの方法がステータスを身に付ける方法として、効率的かおわかりいただけると思います。

 スピードでは、圧倒的にスクールへ通った場合が有利です。

 スクールは勿論お金がかかりますが、賞味期限の過ぎないうちに有効な資格を取得して、早く活躍の舞台に立てることを思えば、少々の時間に投資して大きな利益を得るようなものです。

 

聴覚障害者はスクールに通うことができるか 

 通うことが出来ない。とは言いません。

 しかし、通ったところで聴こえなければ、身につけるのは困難です。

 高い学費を払う意味がありません。

 世の中の多くの民間パソコンスクールは、圧倒的多数の健聴者を前提として作られていますので、聴覚障害者にはまたハードルの高い難関のひとつとして立ちはだかってしまいます。

 地方自治体等でしばば開催されている聴覚障害者のためのパソコン教室等も、初心者向けばかりで最低限のことしか教われないことが多いようです。

 最低限のことを教わって、そこで終わってしまえば、いつまでも「最低限」のままです。最低限の知識や技術で仕事をすれば、いつまでも「最低限の仕事」をしつづけることになりかねません。

 これでは、豊かな社会生活など程遠い夢になってしまいますね。

情報保障のできるパソコンスクール

 こういうパソコンスクールは、あまりありません。

 なぜならば、健聴者に比べ数の少ない聴覚障害者は、企業から見てマーケットにはならないからです。

 したがって、依然パソコンボランティア等に頼らざるを得ないのが現状のようです。

 民間でも、手話で学べるパソコン教室を開催し聴覚障害者にもプロフェッショナルとして活躍するための学習フォローを、ごく少数の大手電気メーカー関連企業がとりんでいますが、まだまだ一般に浸透しているとは到底思えません。

 私が代表を務める「かがやきパソコンスクール」もそのひとつではありますが、「聴覚障害者のための」とか「難聴者のための」という限られたニーズのためだけでなく、普通のパソコンスクールでも当たり前に「情報保障」の提供が出来る環境で、健聴者と格差の無い環境で学習できる門戸の広いスクールが増えていくことを願っております。

 

最後に

 現在「かがやきパソコンスクール」での情報保障は以下のとおり対応していますので、ご紹介させていただきたいと思います。

お客さまの状態 当スクールの対応
全く聴こえない 手話・口話・文字による情報伝達
ほとんど聴こえない
補聴器着用 FM補聴器 FMマイクによる情報伝達・文字の併用
一般の補聴器 対面説明・口の動きを大きくしゆっくりとした説明・必要に応じて拡声器を使用・文字の併用
補聴器なし 対面説明・口の動きを大きくしゆっくりとした説明・必要に応じて専用レシーバを貸与・文字の併用

 

  なお、「かがやきパソコンスクール」での情報保障は、多少の設備投資と経営者・インストラクターの努力により、一般のパソコンスクールでも実現可能な内容となっておりますし、今後当スクールと同様、聴覚障害者のための情報保障等のフォローをしてくださるスクールや、一般企業の方々が増えてくることを期待しております。

 ご同業の方からのお問合せ、見学等にも対応させていただいておりますので、ぜひ当スクールの情報保障に対する工夫を取り入れていただく等、聴覚障害者に対するご支援をしていただければ幸いです。

 

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かがやきパソコンスクールは、聴覚障害者・難聴者にやさしい情報保障のパソコンスクールです。

お客さまの多くは聴覚障害者の方です。お茶を飲みながら手話で情報交換をしたする「仲間同士の憩いの場」としてもご利用いただいています。また、企業さまにおいては聴覚障害者の社員研修等でご利用いただいております。

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